詩をおいておくところ

1984年生まれ。詩を書いては残しします。

まるい。

心の中心にまるを想像する

そしたらなにかがはじまって丸のなかいっぱいになって

そうして終わっていくんだ

さみしいようでうつくしくてみとれたりもする

じょうずもへたもない一人だけのはじまりと終わりの世界

抱きしめる人がだれもいないなら

はげましてくれる人が誰もいないなら

そうやって自分のいのちを抱きしめる

いのちをみつめていると

どこか夢の世界につながっているんじゃないかな、とおもう

丸い形がまるですべてのものごとにおわりがあると伝えてくれているみたい

 

さくら

さくらが さいたよ

あおいろに ぴんくだよ

たくさんねたら

もっとあたたかいよ

おててと おててを

つなぎたいね

うれしいね

いろんなところに いって

おふろに はいりたいね

花火

花火が消えるまで僕は感動しつづけてたか

それとも感動を思い出していたか

人間て不思議だね

ほんの一瞬の感動を何年も大切にしている

その一瞬がまるで人生の大部分を覆っていたかのように

あの人はいつから感動からイメージになったか

逆にあの人は僕のことをいまだに感動を伴ったイメージで見てくれている

次の感動まで漕ぎつける長く短い旅

僕たちは現実という骨組みの夢を見ている

たくさんの手がかりを追って宝探しする

わからないということがわかってきました

五色

なんだかふっと命がかるくなるこんな夜

ぞうりひとつで海まで向かう

夜の煙突の煙 ありゃなんだろね

月の光でアスファルトまでつるんといいかんじ

口笛吹きながら

生温かいはじまったばっかりの夏で

永遠に死なないような気持ちで海までの坂を下りた

 

人が願えば水がよごれる

こうあれよ、こうなれよ、と言われればその人の成し得なかった事、望んだこと、今までの生き方を否定しないありよう、が含まれているに違いない

心配だわ、それで大丈夫、というのは自分が施せる範囲の人間にあつらえて自己を確認したいという気持ちが少なからずあるようにおもえる

 

こうあってほしい、こうなってほしい、という思いの交差同士で人と人は成り立っているらしいが、その実それが実に人に対して鬱陶しいことであるだろ

 

僕といえば、親におまえはこうだよな、と何度も言われたが、事実俺がそのようにこうであって気弱に喧嘩もせず、怒りも裏切りもせず、卑小に生きてきたかというと全くその逆である

し、卑小なものを押し付けられてきたから故の反発もあると思う。故に卑小である。

 

楽しそうだね、幸せそうだね、君は自由であるね、と言われると今日にでも死んでやろうと思うし、そのさかしまになっている死生観は未だに変わらぬ

 

思い慕う人あれば自分がそうしてほしかったようになにも願わず思わぬように距離や氣や思いを断つ

忘れられたいというのがしあわせだとは思わない

やっかいな生理感覚だな

消えてしまうことから顕れる生の倫理だ

 

きっと。

宇宙の真理に触れたとか

 

なにやら一般では見えぬコレはというようなものを見たとか

 

一息にして聴衆や人の場を呼吸にて調和させてしまうであるとか

 

祖母も曽祖母も総曽祖母も亡くなってしまったがわたしの後ろにいて和菓子を食べておりますねという方も

 

気の流れが立ち所にわかりこれは中国雲南省

らきた吉報の風が我々に云々

というのはもうほんと食傷気味で

大網を投げて魚を捕まえるような下品さを感じて僕は料理や生活に逃げ込むようになります。

 

大網を投げる輩の、本人もわからぬまま感触だけがこれは大物だ、という慢心の物語に時間を割く事に無駄をかんじますな。

 

網を投げないままこの海が魚がいる場所、と指し示す、そういうのはすごいね、きっと。

いのることばひとつしらない

 誰がためにぼくのからだ通りぬけてきた言葉たち

 誰がためにあなたとおりぬけてきた景色たち

なにおもう

なに願う

祈る言葉ひとつしらずに恥さらし

自分を守ることばっかりで自然に憩いつまはじきにされる

よくみろよ

僕らはゴキブリやドブネズミのようなもの

同種の穢れから離れては

救われぬ

穢れから逃れるものは穢れに知らず巻きとられる

きれいって惨めだね

うつくしいって残酷だね

なにがみえた

なにがみえたかね

いのることばひとつくらいほしいね

からだひとつ通りぬけてきたやつをよ

インスタントでない

気持ちよくもないほんとのやつをよ

そのことひとつ携えてはじめて人間になれた顔して会いたいねえ