詩をおいておくところ

1984年生まれ。詩を書いては残しします。

音の行方

なにかが始まるのをずっと待っていた。

もう未来永劫この広い喜びと悲しみの中で彷徨っているのかと思っていた。

生きているもの、形あるものがそれぞれの摂理の中でそれぞれの時間をもってひしめきあっているのを感じながらそれらの周りを強く期待しながら漂っていた。楽しみにしていた。

時と理がぴったり合ったので飛び出た。

飛び出た瞬間意味が現れた。

ずうっと以前の雰囲気とこの場所を指す意味が与えられた。

俺は音になった。楽器の音だ。

そして今はまた虚空のなかで期待しながら待っている。

ある時は滝が流れる音になった事もある。氷山が割れる瞬間の音にも、飛行機のジェット音にも、1970年代のジャズプレイヤーのバスクラリネットの音、レコードに針を落とす瞬間、動物の断末魔の声、愛する人を亡くした泣き声、冷たい色の病棟のスリッパを踏みしめる音。なんにでもなった。またなんにでもなるだろう。

期待する物が聴けば意味が付与される。印象が、思い出が、心象が、魂の轍が、といってもいいかもしれない。

なにも聴くものがいなければ、ただ空気を動かし、少しだけ時間あるものたちの動きを変えるだろう。

期待して待っている。

音になって生まれ出る事を。

 

 

 

っていうような感覚を音楽や音を聴いてると思うんだよな。

僕がフリージャズや現代音楽が好きだから、そういう無調から生まれる音に対してそういう感受性を持ったのかもしれない。

なんにせよ音楽も音もオモチロイですね。たまらない。