詩をおいておくところ

1984年生まれ。詩を書いては残しします。

豊かさ

最近、会話の中で自分の物事についての考えを話すとき、豊かさ、という言葉をよく使う。
なにか深くは考えてはいないものの、豊かさ、というものの自分なりの実感があったのだろう、と思うので少し書いてみようかな。
まず、自分にとって去年は非常に金銭的に貧しく、さらに他者との死と向かい合わないといけない年だった。
働いても働いても滞納した家賃の返済に追われ、嵩張らない貴重品や大事なものはほとんど売って飯の種にした。
来週食う金も無かったので日雇いの仕事をして、食っていた。
あらゆる大事にしていたものを無くしたり自由に過ごせる時間がない中で、そもそも物とはなんだろう、時間とは、幸せとは、と考えた。
少し時間と気持ちにゆとりが出た今になって僕はこう考えている。
物もお金も限りなく近づいているだけで自分のもの、自分と同一のなにか、ではない。という事。
人との繋がりだって、ただ欲に駆られたりなにか虚栄心で繋がりを増やしたって結局は忙しくなるだけで、名前と姿形を知っているだけで、本当はなんら繋がっていない、ということ。
快楽についても、欲求についても、過ぎ去ってしまうとなにもない、ということ。
仏教の本を好んで読んでいた時期があって、このような事が書いてあったけど、自分の身に実感として感じられる日が来るとは。ううん。不思議複雑怪奇。ううん。
今になると僕は豊かさ、幸せさ、というものをこう考えている。
僕には大事な家族や恋人や友人がいる。
何故か大事な友人はだいたいちょっと遠いとこに住んでいる。まあそれは置いといて。
その友人や、生きてる人達、死んだ人でもいいや、思いを馳せたり、なにか響き合えるものを持った人達と命あるなかで同じ時代を過ごすこと。
時々再会して、その人がやっているその人の用事、というか自分の生きる仕事の風を運んでくれること。
困り事が少なく、見たもの、聴いたこと、触れたものに対してゆっくり時間を持って感想を想える事。
そういった事柄が僕の今の豊かさです。

そういえば小学生の時は友達が3人でも、お金がなくても十分に幸せだった。
しばらく疎遠だった人達にも会いたいな。
今なら、昔よりしっかり見つめることができるから。