詩をおいておくところ

1984年生まれ。詩を書いては残しします。

紙でできた牛 周縁

記憶を辿って色々書き連ねていくと、書き終わったものの中から漏れている事柄の中にもキラッと光る詩情を感じる記憶がいくつかあるので書き残しておこうかな。目的や物語の始まりと終わりの周りに必ず別のストーリーがあるのに気づく。それらが複雑に繁茂しているのを少しずつ観察できると豊かな気持ちになる。
ルアンナムターの中心街から外れるとうららかな田園や花や民家がぽつぽつと立ち並び咲き乱れる景色に入る。
ビーチサンダルで青草踏みながら村の終わりの川まで行くのが毎朝の日課になる。
川までの道の途中でいつもどこかの子供逹がリリアンをしたり、走り回ったり、木に登ってマンゴスチンを取ったりしている。
この旅の中で僕はcontax t3というカメラを使って道すがら撮影していた。子供逹はこの小さい金属の箱が気になるみたいで、撮らせてくれ、僕にもシャッターを押させてくれ、とせがむ。
被写体になりたい、という気持ちは何歳頃から生まれるのか不思議だ。
女の子はおしゃれをしなくちゃな、と近くにあった花を頭につけてあげると、子供逹はみんな不思議そうな顔をしながら花を手折って頭や耳につけだした。
その翌日、いつものように川までの道を歩くと、子供逹は花を沢山摘んで待っていた。僕の事を花が好きな人だと思ったらしい。まだ小さい子供が集団で人の喜ぶだろう事をしてみよう、という考えになったのに驚いた。嬉しかった。

こんな事もあった。
赤茶けた小高い丘の中腹で、2.3歳下から同い年くらいのお坊さんがチェスのようなオセロのようなボードゲームをしていた。赤茶の丘に法衣の黄、真っ青な空に白い雲。それらの色を全部持ち合わせたようなカラフルな鶏が草むらからひょっこり顔を出すような場所。
すごくフレンドリーになるでもなく、遠慮されてるでも無く、お、きたね。くらいのお互いの認識で若いお坊さん逹と僕はボードゲームを終えて彼らの宿舎に向かう。
このへんなんにもないからまあ、僕らの部屋でも見ていったらどうだ、と簡易な小屋のドアを開けてもらうと、薄い紫地の壁に沿わせて、石で出来たり、木でできているベッドが並べられている。
壁にもベッドにも経文のような文字が沢山書かれてある。
部屋の四隅だけ建て付けが良く無いのか、空の青色の光がまっすぐに射し込む。
薄紫にほの明るい青。電飾が無い中恐ろしく静かな空間に生活の場と経文が同時に浮かび上がる。
僕は空間の中で積み重ねられてきた記憶や雰囲気の清潔さと厳粛さに圧倒されすぎて全く喋れなくなる。
ぽーっとしながら二、三枚写真を撮る。
誰かの仏性のこころの形や様子をそのまま部屋にして、体験させてくれたような部屋だった。
部屋から出ると、すみませんが、君は日本人だから機械に詳しいだろ?
トランジスタラジオが調子が悪いからちょっと見てくれない?と言われる。
得難い雰囲気と情報量をいちどきに見せていただいた僕は、わかりました。とだけ返事しトランジスタラジオを空けると、電池が1つ切れかけている。
この様な偉い人らにブツブツ途切れるポップスを聴かすわけにいかん、と勇んで街の雑貨屋まで電池を買いに行った。