詩をおいておくところ

1984年生まれ。詩を書いては残しします。

身体とアドリヴ

馬肉ステーキなるものを食し、随分身体が軽く気分がよろしい。
こんな風に身体の調子がよろしいといつもと違う事を思いついたり、いつもと違う場所に出かけてみたくなる。
僕はのうみその中だけに記憶がしまいこまれているんやなしに、なにか腹に記憶が、足に記憶が、腕に記憶があるような気がある。
閃きも同じように頭を含む身体のどこかしらを起点に外の世界と身体の中の世界が触れ合って起こっているように思える。
なにかしら言いたい感覚があるんだけれど、それにしてはなんだかいいよどんだり妙に感覚が詰まるようなかんじがあるな、というときは僕の場合は大抵ちょっと身体のどっかが元気ではないんじゃないかなあ。
以前、武道に非常に通じている尊敬する先輩がうちに飲みにいただいた時に、はまちゃん、風呂は足をようくあらわないかんで、と教えてくださった。
武道やヨガなんかに通じている人はそういう事をよくきづいているんだろうなあー。
音楽の上でアドリヴがある意義がわからない、というか、聞き方がわからない、という人が時々いるけれど、僕はあれは演奏者が身体で思考する音の軌跡だと思っている。或いはその人を通りぬけて飛び出していくいのちのようなもの。ジャンルや心のどこらへんでやっているのかで随分かわるだろうけれど、即興演奏から飛び出す音楽はその人のいのちが今なにか感じて、それをそれぞれの心や形の個性という歪みを通じて発されるものだと思っている。
ありのままの人間愛だなあ、とも思う。
僕は身体の中になにか淀んでしまって、濁りが生じてそこから停滞と壊死が始まることが苦手なので、こやって文章や、おしゃべりや、音楽や、動いて、インプットとアウトプットを繰り返すのが好きです。
今日はちょっと運動不足な感じだから走りに出かけようかな。
歩け、悪魔をけむにまけ。