詩をおいておくところ

1984年生まれ。詩を書いては残しします。

捨てる事、執着を拭う

去年の秋口からくらいか、台風で駄目になったものを捨てた。

捨てるついでに要らないものも捨てた。

そうしたら幾分か、心持ちも軽くなったように思えて今度は要るものもいくつか捨てた。

そうすると、おやおや、僕が僕らしいとおもっていた事のいくつかはただの拘りにすぎないと思えてきた。

今度はいくらか人間関係を捨てた。

もう連絡をとらないであろう人、とるかもしれないが幾分か心に不快感やもやのようなものを感じる人、どうでもいいやつ、に混じって相容れなさを感じるが大切な人、いい思い出をもつ数人か、も捨てた。

これで僕は随分行かなくてよい方向に心が動いたり誰にもっとなにかしてあげたらよかった、などの気持ちの揺らぎが少なくなった。

人生は短い。

見たり聞いたり会うたり感覚に取り入れるものは選ぶ権利がある、と知った。

相容れぬものを無理やりに赦してこころすり減らす必要もなく、また、無理やりに赦していただきたくもない。

気に入らなければ、消えろ。

という潔さを知った。

時間は遡って、過去の家族との楽しい思い出も捨てた。そうすることで現在の家族への煩わしい執着も捨てることができた。

要るものと要らぬものを捨てて捨ててしてゆくうちに

この世界はなにかの約束事で結ばれているのではなく、ただ在るということ、で結ばれているのだな

という事を知り、感謝の思いが生まれる。

僕が捨て去ったものたちも生き生きと在り続けて欲しいと願う。

そして、他者や、あるいは自分に対して祈ったり願ったりすることも捨てる。

自分に祈ったり願ったりするこころが減っていくと、いっそ死んでしまいたい、やいつまでも長生きしたい、などという気持ちが薄らいでゆく。

逆説的になにも願わない事がねがったりかなったり状態に入っていくのだ。

ただ息をしてる身で、この大気には人の指紋のように微細に運命や流れのようなものがあるのだなあ、と最近は感じだしている。

その流れに身を任せて過ごしていこうとおもう。